某日記に反応。不快の腐海

書いた当人が「不快になるなら見なければいい」と言ったのならばまあ彼の言う通り。しかし大体例の台詞を見受けるのは誰が書いたとも知れないところにおいてではないか。それを受けて元の文章を書いた人間を批判するのはお門違いであろう。
私ならば「不快になるなら見なければいい」意見には「見なければ済む、と言うのならじゃあお前は俺の文章を見るな」とでも言うだろうか。「不快になるなら見なければいい」と言う当人に自分の言った事を実行させてみるわけだ。
反応を嫌う反応。結局「不快になるなら見なければいい」ってのはそういうもんなんだな。自己嫌悪みたいなものか、いやちょっと違うか、どうだろうか。


  • 「あの日記は不快だ。「〜〜」と言ったくだりがこれこれこう言う意味で私を不快にさせる。」
  • 「あの日記って不快だね。昔一回見たことあるけど、今はもう見てないよ。」

私は後者の方が不快です。理由は現在の文章が不快かどうかは見なければ判断できないから。