八月の博物館(瀬名秀明著)を読了して

読み終わった後、googleあたりで検索をかけてひっかかった書評を読む。これもまた面白い。「メタフィクション」である必要があるのかと問う人、夢野久作のオマージュである*1と言う人、結局あらすじしか語れない人。書評によってまた一つメタフィクションの層が積み重なったようにも思える。まあ本書によれば見せ方に注意しない物語など物語ではないのだろうけど。
「作家は見せ方に注意しなきゃならない」作家やライター氏には言われるまでも無いのだろうけど…ねぇ。ネタをひねり出したのはいいけどそこで力尽きてるように見える作家が時々…
以下ネタばれにつき白文字。
しかし一つ疑問が残る。何故自分の写し身である作家に自分が書くものから一つ層を剥いだ物語を書かせる意味があったのか。これは物語の構成上の必然性から生まれたのではないのか。作家の書いた本はただのジュブナイルな冒険小説じゃないか。それに満足できたのか、それに満足しなかった自分の写し身である作家が。ううむ。
気になって読み返そうと思ったら人に貸していて無いし。うわーん。

*1:何のオマージュであるかは述べてないが、当然ドグラ・マグラだろう